10月26日、「中間貯蔵を考えよう周南の会」主催による講演会が周南市で開かれ、ブログ主も参加してきました。
講師は、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さん。主催者の意向で、中間貯蔵施設そのものよりも「核の恐ろしさ」に力点を置いたお話でした。
会場に聴衆が入りきれないくらいの満員でした。この問題の関心の高さがうかがえます。
以下、講演の内容を簡単にまとめてみます。
※講演者や主催者の確認を経た訳ではありません。当日配布の資料をもとに、ブログ主が要約したものです。
広島に投下された原爆の恐怖
被爆前の広島の街並みの写真と、被爆当日に撮られた写真の比較。東京大空襲による被害を物語る写真。焼けただれた遺体など。その被害をもたらした焼夷弾が約1800トンであるのに対し、広島原爆の破壊力は、その10倍に近い1万6000トン分であったこと。
核反応は自然界の反応とは全く違う
燃焼で放出されるエネルギーが、灯油10,000kcal/kg、火薬1,000kcal/kgなのに対し、ウランの核分裂は、2兆kcal/kg。
自然界のものは燃焼時に酸素を必要とするが、核分裂反応は条件さえ作れば反応が自立的に進む。
核燃料サイクルはすでに破綻
原子力推進派の夢である核燃料サイクルは、その中核となるはずの高速増殖炉が現在、影も形もない。単なる原型炉だった「もんじゅ」が破綻。
プルサーマルは、その破綻を隠すためのただの悪あがき。六ケ所村の再処理工場、MOX燃料加工工場は未稼働のまま。
原子力開発利用長期計画の見直しの歴史を追うと、計画が10年たつたびに高速増殖炉開発の見通しが20年先送りになっていく。つまり核燃料サイクルは、10年たつと20年先に逃げていく、永遠に到達できない夢である。
原子力は無尽蔵な未来のエネルギーなどではない
石炭の確認埋蔵量27.8で究極埋蔵量311。石油の確認埋蔵量10.7で究極埋蔵量29.2。これらに対し、ウランの確認埋蔵量2.8で究極埋蔵量7.0。
※単位は1×10^21ジュール
ウランは桁違いに少ない。原子力を推進する人たちはそれを知っている。だから核燃料サイクルを実現させようとしている。
ちなみに、太陽が1年ごとに地球に届けているエネルギーは、5400。
茨城県東海村のJCO臨界事故(1999年9月30日)
被爆した作業員2名の当日の作業内容。被爆直後に大きな変化が見られなかった皮膚が、1か月後には表皮が失われ、赤黒く変色している様子。
被爆による急性死亡確率は、全身被爆線量が2グレイで死亡する人が出始める。4グレイだと半数が死亡。8グレイではほぼ100%が死亡する。
被爆した作業員の被爆量は、それぞれ18グレイ当量、10グレイ当量。
使用済み核燃料の中間貯蔵施設について
使用済み核燃料には、仮に20年保管後でも金属ウラン1トン当たり約3400兆ベクレルのセシウム137が含まれる。広島原爆約40発分に相当。仮に1000トン分の貯蔵施設なら、その施設が抱える放射能は広島原爆4万発分に相当する。また、一度受け入れてしまうと、1000トンでは済まない可能性もある。
中間貯蔵施設なら、都会だって「適地」
ヨーロッパの原子力業界誌「Nuclear Europe Worldscan」2000年11月号の記事より。
原子力発電所とは違い、中間貯蔵施設の立地については広い選択肢がある(東京ですら、適地として候補地になりうる!)。東京在住者は電気を必要としているが、発電に付随する危険は過疎地の住民にしわ寄せされてきた。中間貯蔵施設の立地点を決める手続きは、その問題を解決する一歩となりうる。
※ブログ主注;中間貯蔵施設は都市部に置くことで、発電を担う過疎地と都市部とで、痛みを分け合える可能性がある、というのが同誌の主張だと思います。
一時的なカネを得るために売り渡すもの
原発は機械。いつか寿命が来る。ウランも遠からず枯渇し、原子力は終わる。推進派がかける期待はすべて誤り。未来には破局が待っている。
一時的なカネを得るために売り渡すものは、都会では引き受けられない危険である。それは今の世代だけでなく、人類が終わるまで続く。

▲ 当日の会場の様子